院長ブログです
4月の朝。
駅前の定食屋は、通勤前の客でにぎわっていた。しかし、ここ数年いつもカウンターに座っていた常連たちの姿が、少しずつ減っている。
息子夫婦に店を継ぐ気はなく、もう潮時かなと思うこともある。けれど、暖簾を下ろしてしまえば、毎日のリズムも一緒に消えてしまいそうで。
なんとなく、今日も魚を焼く。
そんなある日の開店準備中、窓の外に子どもの顔がぴょこんと現れた。近くの小学生がランドセルを背負ったまま、興味深そうに中をのぞきこんでいる。
「おじさん、魚焼くのが上手だね」店の前を通るたび、香ばしい匂いが気になっていたらしい。
「上手いも下手もないよ。焦がさなきゃそれで合格」そうぎこちなく笑って返すと、少年はへぇ、と目を丸くして去っていった。
それから登校前に少年が立ち止まるようになった。
魚を焼く様子を、じっと見つめている。
「魚を上手に焼けるようになりたいのか?」と尋ねると、少年は首を横に振った。「おじさんみたいに、食べる人が喜ぶ料理を作りたいんだ」思いがけない言葉に、魚を焼く手が止まった。
そういえば昔の自分も、「うまい」より「嬉しい」を目指していた。いつの間にか、その気持ちを忘れてしまっていた。
少年が通り過ぎたあと、店の中では皿に盛りつけたサバの皮が、こんがりと光を反射している。焦がさなきゃ合格、だったな、とつぶやくと笑みがこぼれた。
いつもと同じ朝のはずなのに、どこか新しい風が吹いている気がした。もう少し、この店続けてみようか。香ばしい匂いに包まれながら、店主は次の1枚に箸を伸ばした。