院長ブログです
マンションの前には、毎朝、歩道の掃除をしている年配の男性がいる。住人の「田口さん」だ。
中学3年の冬。受験を控えて朝の登校すら億劫になっていた私は軽く会釈だけして通り過ぎるのが常だったが、ある日、母が何気なく言った。
「昔は自分から、おはようございます!って元気に言ってたのにね」
その一言が、妙に心に引っかかった。
その夜、ふと鏡を見た自分の顔が、前よりちょっと怖くなった気がして、嫌な気分になった。
次の朝、掃除をしている田口さんに、思い出したように「おはようございます」と言ってみた。ちょっと声が上ずったけど、田口さんはにっこりして、「おはよう。いい朝だね」と返してくれた。それから、朝の挨拶が私の日課になった。最初は気恥ずかしかったけど、なんだか心が軽くなった気がして、挨拶を交わすのが楽しみだった。
ところが、ある日を境に田口さんの姿が見えなくなった。数日後、「清掃ボランティアの田口さんは体調不良のためしばらくお休みします」と掲示板に貼り紙が出た。
私は迷った末、田口さんがしていたように、ほうきを手に取って歩道を掃くことにした。
受験を間近に控えているが、掃除と挨拶で気持ちを落ち着かせる時間がとても大切に感じられた。
数日後、田口さんが戻ってくると、「掃除、してくれてたんだってね。ありがとう。」と笑いかけてくれた。その夜、母が引き出しから一枚の写真を出してきた。そこには、幼い私が田口さんと一緒に落ち葉を拾っている姿が写っていた。
「ほら、小さいころも一緒に掃除してたのよ」
挨拶も、掃除も、あの頃から始まっていたのか。そう思うと、なんだか胸があったかくなった。